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鍋割山 謎の石積み遺構

   謎の石積み遺構 と 

西側の石積み

  東と西の神様

岩屋の祠

不動様

29/12/16


 この石積み遺構の存在を知ってから何年たったのか?
 ようやく訪ねることに

 合わせて、鍋割山を挟んで
 岩屋にある東の神様と
 西の神様、鍋破山前不動も訪ねることにする


 懸案の石垣遺構を先に
 ここからスタート

今日はこの登山口から

 鍋割高原、獅子ヶ鼻を通り
 最後の岩場を上がると

ここを上ると

 平坦な道になる

ようやく平坦路

 辺りの様子をうかがうと
 探す間もなく、
 登山道の右側に
 明瞭な踏み跡が


 鍋割山頂から下りてくると
 鍋破山前不動ルートの分岐を通りすぎて
 平坦路の末端近く

これが目印

   群馬県設置の「鍋割山南面自然環境保全地域」の標識があるところです


 踏み跡を辿っていくと

 岩がゴロゴロしている場所に出た

岩がゴロゴロ


 ツツジなどの灌木を潜り抜けていくと

 石積み遺構でした
 登山道からわずか10mほどです

東側からみた石積み遺構

 形状はコの字型

 南方向が開けています
 この後の表記は
 便宜的に開放部を南とします


 内部に下りて、遺構の真ん中から、北西の角
  👇

中心部に立って

 内部は雑木が多く、南側の開放部も足元が不安定


 西側です
  👇

西側の石積み

 こちらは、自然の大岩を利用している

西側の石積みは自然の大岩を利用している

 石の積み方は

 東・西側とも先端部は直方体に加工した?ようにそろえられている
 内部も加工したような形状の石積みと野面積みが併用されているようだ

西側の石積み

 高さは、約2.2m

西側の石積み 高さは2.2m

 北側です
  👇

北側の石積み 後方に登山道

 後方が登山道
 歩いているハイカーが視認できるほどの距離です

北側の石積み

 高さは約2.1m


 東側です
  👇

東側は崩れたのか

 一部、崩落してます


 間口は約9.5m 奥行は6mほど
 明かな人工物
 いつ頃、誰が、何のために、ここに築いたのか、謎は深まるばかり

 ここを知ったころ
 自分的には、おこもり堂?と考えましたが
 遥拝する対象はなんだろうと、それらしきご神体は鍋割には見当たらないし・・・

 と、平成28年12月11日付の上毛新聞に参考となる記事があった

   「赤城・鍋割山の謎の石積み検証」

  ① 周辺に手水鉢や常夜灯の破片が落ちている (この日は未確認)
  ② 標高1240m付近にあり、三度登ると富士山に登頂したことになる
  ③ 石積みの開口部が富士山と対面している

    富士山の遙拝所ではなかろうか、という結論でした

    おこもり堂という説もあるようですが、文献は残されていないようです


 それにしても、相当の労力で築かれた遺構だと感じました



 ようやく、宿題を片付けて、鍋割山頂でお仲間とバッタリした後
 東の神様まで行ってこよう


 荒山高原から鍋割山へ向かうと
 登山道に大きな岩がある (人面岩ともいう)

岩屋の入口

 いつの間にか
 岩の下部に書かれていた

人面岩に書かれていた

 前回(12/3)に歩いた時はすでに書かれていたが
 11/5はなかったのでその間のようだ


 岩屋への階段道はキレイに笹が刈り払われていた

急な階段を下りる

 かなり急なので、慎重に下りる

 左方向へ道が続き、まもなく岩屋に下り立つ
 ここは、3回目の訪問

岩屋

 岩屋のほぼ中央に石祠

岩屋の祠

 東側に十二山神の石碑

十二山神の石碑

 こちらは新しそうに見える


 祠の側面をよく見ると
 明治八年・・・までなんとか見えた

岩屋の祠

 明治八年とすれば、1875年ですから
 140年は経っていることになる
 苔むした様子から、もう少し古い江戸時代後期かと思っていた
 反対側の、寄進者?が彫られていたが文字は判読できず
 こちらも、南方向を向いているので
 山麓の村の信仰の神様かもしれません


 階段とは反対の東側の様子を覗いたけど
 踏み跡らしきものもあったけど、笹薮なので素直に戻った


 
 再度の鍋割山頂で、軽くお昼休み
 
 次の目的地へ

 
 鍋割山頂から階段が終わると分岐
 
鍋破山前不動へ

 以前、ここにも、鍋破山前不動を経て登山口(急坂につき要注意) と標示があったような記憶があるけど
 取り外されたのかもしれない
 道は明瞭です

 こんな古い標識は木の間にあった

下山は不動尊コース

 急な道を下り 
 大岩の下におわす、鍋破山前不動さま

鍋破山前不動


 剣をもった不動様

不動様

 凛々しいというかかわいらしさもある

不動様


 鍋破山とあるが、いにしえの山名?

鍋破山前不動

 ちなみに、鍋割山の山名は
  弘法大師の開山伝説があり、大師が霊場を求めて赤城山を訪れて山中を探したが、
  九十九谷しかなかったので諦めて下げていた手鍋を投げ捨てて赤城山を去った。
  その鍋が割れて被さったのが鍋割山だという。鍋を伏せたような形状から名付けられた、という説も。


文化五

 文化五 戊辰の年
 西暦では1808年
 200年以上経っていますね


  これにて、本日の目的は終了
  でありますが、謎というか不明な点が多いのが気になってきました

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2017-12-19 21:30 : 赤城 : コメント : 4 : トラックバック : 0 :
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非公開コメント

No title
アカデミックなふしぎ発見探検隊でしたね。
おこもり堂、という言葉を始めて聞きました。
山を歩いていると「どうしてここに?」というような場所にお不動さんがいたりしますね。
石積みは「こんなにしっかり作られたものがどういうものだかわからない」、
という所がミステリーですね。
誰かが知っていそうなものだし、文献などもありそうな気がしますが、
新聞社の調べでもわからないなんて。
鍋割山にもいずれ行ってみたいとは思っているのです。w
2017-12-25 00:34 : Layla URL : 編集
Re: No title
Laylaさん 
山を歩いて、石祠とか、石碑を見つけたりすると
山には神様がいて、信仰していたんだなあと思います
見つけると、手を合わせてしまいますね
石積みは、文献が残っていないようですが
おこもり堂だという、言い伝えはあるようです
真偽のほどは不明ですが、不思議な遺構です。

2017-12-25 21:26 : kazu URL : 編集
No title
こんばんわ。
見逃してました!次回は見に行きます。
詳細な情報ありがとうございました。
自分はマニアではありませんが、遥か昔の営みがあって、
そこに思いのあった人が居たんだと想像するのが好きです。
3回で富士山相当なら便乗してしまいそう(笑)
2017-12-30 18:13 : みー猫 URL : 編集
Re: No title
みー猫さん こんばんは。
石積み遺構だけは、一度見たいなと
雪が降る前に行ってきました
私もマニアではありませんが、
祠や石碑など山中で見かけるとつい手を合わせます。
しかし、約17坪というこの石積み遺構は、疑問が増すばかりでした。
雪は少ない場所ですが、機会があったら訪問してください
2017-12-30 21:26 : kazu URL : 編集
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